長幡部神社の基本情報
詳細情報
御由緒
神流川流域に位置する古代の加美郡内には『延喜式』神名帳に登載されている神社として、当社「長幡部神社」と「今城青八坂稲実神社・今城青坂稲実荒御魂神社・今城青坂稲実池上神社」の四柱がある。これらは、いずれも此の地域に進出してきた氏族が奉斎した神社として考えられる。長幡部は機織りの技術を持った集団が祀った神社をその社名であらわしたと考えられる。 鎮座地は『神社明細帳』に「往時本村地内神流の南岸字宮の西的場に鎮座し本郡の総社及び当社の氏神なりと云う。然るに天永元年(1110)洪水のため社地流亡せしを以て此の地に遷座せり」と記されている。 古代の長幡部氏のその後の動向は明らかではないが、江戸幕府の編纂した『新編武蔵風土記稿』には「長幡五所宮 村の鎮守とす、【延喜式】神名帳に、加美郡長幡部と載るもの是なりと云う、今は最小社となりてさせる古社ともおもはざれど、長幡郷中の鎮座にして、其地名も廣わたりたれば、當社恐くは式社なるべし、千壽院持」と載せている。江戸時代に当社の管理をしていた当山派修験の千壽院は、明治初年の神仏分離により、当社から離れた。 明治五年に長幡五所宮から長幡部神社へと社名を復した。