菖蒲神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主祭神》稲田姫命 《合祀神》誉田別命、素戔嗚命、倉稲魂命、金山彦命、速玉男命、菊理姫命、軻遇突智命、伊弉諾命、伊弉冉命、天津児屋根命、水波女之命、菅原道真公
御由緒
当社は、元は袋田明神社と号していた。『風土記稿』菖蒲町の項には「袋田明神社 祭神は稲田姫命と云、神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文九年(1669)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電、大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社」と記されている。別当の吉祥院は袋田山安穏寺と号する真言宗の寺院で、草創の年時は不詳であるが、開山は弘鑁、開基は菖蒲城主佐々木源四郎という。佐々木氏は金田を称し、後に小田原北条氏にくみして天正十八年(1590)豊臣秀吉に滅ぼされたという。 当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置している。また、吉祥院もこの陣屋跡の西側に隣接していることから、当社も吉祥院同様に佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。 神仏分離を経て、当社は明治三年に村社となった。更に同四十二年と大正二年に地内の無格社が合祀されたが、その多くは後に合祀が解かれ元地に戻された。 当社の大元となった袋田明神社の社名は、氏子の間では、見沼代用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の祭神大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であることに由来すると伝えられている。あるいは、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかでない。