千勝社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》大己貴命 《合》木花佐久夜姫命,天神七代神,地神五柱神,天照皇大神,菅原道真,市杵島姫命,宇迦之御魂命,
御由緒
上早見村は古くは下早見村と一対であり、上と下に分村下時期は伝えられていないが、元和七年(1621)の「武州騎西領上早見村地詰帳」(野房書房)が現存するので、分村はそれ以前と思われる。 当社は、上早見村の字新田に鎮座する。「風土記稿」上早見村の項に「千勝社 歓喜院の持」と載り、歓喜院については「真義真言宗、久喜町光明寺の末、無量山と号す、本尊不動」とある。本寺である光明寺は白鳳十年(681)行基が開基し、建長四年(1252)に法印賢信が中興開山下と伝わる古刹であり、境内には久喜町の鎮守である千勝社を祀っていた。恐らくは、新田開発が進められる中で、歓喜院の住職が本寺に祀る千勝社を当地に勧請したのであろう。その年代については定かではないが、久喜町の千勝神社が永正一四年(1517)に足利政氏により勧請されたと伝えられることから、これ以降のことと思われる。 本殿には明和七年(1770年)に神祇管領吉田家から「千勝大明神幣帛」を拝受した際の祝詞が保管されている。 当社は明治に入り、歓喜院の管理下を離れ、明治六年に村社となった。 現在、歓喜院の本堂内には本尊と並んで高さ26センチメートルほどの木製虚空像菩薩立像が祀られている。これは江戸期に当社に祀られていたが、明治初年の神仏分離により歓喜院に移されたものと伝えられる。(案内看板より)