八幡神社の基本情報
詳細情報
御由緒
境内には保存樹木のイチョウの木があり、昭和六二年七月に敷地を拡張した際作られた顕彰碑がある。 この神社の裏側には山車が納められている。 上・下の清久一帯ほ『吾妻鏡』養和元年(1181)二月十八日条などに見える大河戸次郎秀行(清久氏)の本貫地であった。地内には鎌倉期の構築と伝える白幡山館跡(別称清久氏館跡)がある。 上清久は、北部の本村ほむら、北東部の東、南部の新田の三つの耕地(地区)に分かれる。村全体の鎮守は本村の長宮神社で、東では八幡神社(当社)、新田では雷電神社を各々の耕地の鎮守として祀っている。 当社は新川にっかわ用水沿いの「八幡台」と呼ばれる高台に鎮座している。その創建については清久氏とのかかわりも考えられるが、明らかでない。『風土記稿』上清久村の項には「八幡社 大芳たいほう寺の持」と記されている。別当であった大芳寺は、本村にある真言宗の寺院で、開創時期については明らかでないが、法流開山は阿閣梨恵峯とあり、文政元年(1818)に寺格を改めたと伝えられる。現在、同寺の墓地の一画には、当社の石鳥居の上部が残されている。 明治初年の社格制定に際し、長官神社が村社に列し、当社と雷電神社は無格社とされた。 本殿には、八幡大明神座像二体が奉安されている。また、本殿の傍らに祀られる神明社は『風土記稿』に見える大芳寺持ちの神明社であると思われるが、いつのころ当社に合祀されたかは明らかでない。 昭和二十九年には、社殿の再建が行われた。 (「埼玉の神社」埼玉県神社庁平成10年3月より)