宝光院の基本情報
詳細情報
御由緒
広い境内地と門の様子から、以前は相当規模の寺だったことがうかがわれます。かつては下総国前林東光寺末でした。 当寺には、郷土の青年を育成する為に私財を投げうって私立明倫館を設立した宮内翁助が眠っています。江面村で代々名主をつとめてきた宮内家は、今でも四脚門がその名残をとどめています。 明倫館は、初め宝光院を仮教場として開校し、明治36年(1903年)に宮内の屋敷の近くに校舎が完成しそこに移りました。跡を継いだ翁助の子の純も、旧江面村長、埼玉織布㈱社長に就任する一方、中学校や警察の剣道の師範を委嘱され、多くの子弟の育成にあたりました。 やがて社会情勢の変化もあり、明倫館は昭和10年にその使命を閉じますが、地方青年の教育に貢献した宮内翁助、純親子は宝光院墓地に眠っています。