正法寺の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 鉄道・バス 高坂駅(東武東上本線)西へ約3.2km 高坂駅西口2番バス乗り場から、川越観光バス 高01系統(「鳩山ニュータウン」ゆき)7分 「大東文化大学」バス停下車徒歩3分 参道を歩くには、上記のバスで物見山登山口バス停下車、こども動物公園前信号を右折、800m先を左折し、長く緩やかな坂道の参道を進むと仁王門に真っすぐに突き当たる。 自動車 関越自動車道 東松山ICから約6km 関越自動車道 鶴ヶ島ICから約9km 国道407号「宮鼻」交差点から埼玉県道212号岩殿観音南戸守線で約4km
行き方
表参道:東武東上線「高坂駅」より川越観光バス「物見山登山口バス停」下車、徒歩18分 裏参道:東武東上線「高坂駅」より川越観光バス「大東文化大学バス停」下車、徒歩2分
公開時間
夏期:8:30-17:00 冬期:8:30-16:00
文化財
六面幢、銅鐘、(県指定文化財) 鐘楼、算額、中世文書、阿弥陀三尊板石塔婆、阿弥陀一尊石塔婆、大銀杏(市指定文化財)
歴史
歴史[編集] 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し[1]、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した[2]。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 ^ 巖殿山千手觀世音菩薩來由略記(柴田常恵 & 稲村坦元 1929, pp. 278–280) ^ 正法寺にほど近い伝足利基氏館跡付近に比企能員の屋敷があったという指摘もある。(齋藤慎一 2006)
御由緒
真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また、岩殿寺ともいう。 源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹であり、天正二年(1574)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。 観音堂は養老年間(717〜724)僧逸海の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十年の札所となった。千手観音が祀られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。 当寺には、延暦十年(791)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅命によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。 なお、正法寺には、県指定史跡の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。
引用元情報
「正法寺 (東松山市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA%20(%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)&oldid=88886977
概要
正法寺(しょうぼうじ)は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三観音の十番札所である。一般には岩殿観音の通称で知られる。
札所
坂東三十三箇所霊場第10番札所 武州七十二薬師霊場第47番札所 関東百八地蔵尊第13番札所
体験
写経・写仏祈祷七五三武将・サムライ札所・七福神巡り
正法寺へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 鉄道・バス 高坂駅(東武東上本線)西へ約3.2km 高坂駅西口2番バス乗り場から、川越観光バス 高01系統(「鳩山ニュータウン」ゆき)7分 「大東文化大学」バス停下車徒歩3分 参道を歩くには、上記のバスで物見山登山口バス停下車、こども動物公園前信号を右折、800m先を左折し、長く緩やかな坂道の参道を進むと仁王門に真っすぐに突き当たる。 自動車 関越自動車道 東松山ICから約6km 関越自動車道 鶴ヶ島ICから約9km 国道407号「宮鼻」交差点から埼玉県道212号岩殿観音南戸守線で約4km
行き方
表参道:東武東上線「高坂駅」より川越観光バス「物見山登山口バス停」下車、徒歩18分 裏参道:東武東上線「高坂駅」より川越観光バス「大東文化大学バス停」下車、徒歩2分