諏訪神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当神社の由緒は不明ですが、古くから串作の鎮守として祀られており、「風土記稿」にも「諏訪社 村の鎮守なり」と記載されています。 明治以降は真言宗観音寺の持ちでしたが、神仏分離によりその管理を離れ、明治五年に村社となり、同四十一年八月二十二日に字内野の稲荷社、字北の頭殿社、字須崎の厳島社を合祀し、更に戦後になって、字東の八坂神社も合祀しています。 《中略》 現在の本殿及び旧拝殿は、明治十九年九月二十七日に建造されたもので、本殿を除く拝殿、覆屋は近年老朽化が甚だしく、年々営繕を繰り返してまいりましたが、その限界となり、有志の方々より改築の議がおこり、この地に生まれ育った大竹榮一氏より崇敬の念厚く、多額の浄財の寄進の申し出があり、一気に社殿御造営への気運が高まり、この度の施工をみたのであります。 平成二十三年八月二十四日に奉祝祭を斎行し、ご神徳を仰ぎ、神威を昂揚し崇敬の誠を碑に刻み弥栄を記念するものであります。 平成二十三年八月吉日 (境内石碑より)