岩槻久伊豆神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 創建は古く、一説には約1,400年前欽明天皇の時代に土師氏が出雲から久伊豆明神(大己貴命)の分霊を勧進し岩槻に社殿を建立したのにはじまるとされている。1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築城した際、当社を岩槻城の鎮守とした。 久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。加須市の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。 1873年に村社、1923年に郷社に列格した...Wikipediaで続きを読む
御由緒
久伊豆神社は今から約千五百年前、欽明天皇の御代(539~571)出雲族の土師氏が東国移動の際この地に出雲大社の御祭神であり開拓の神であった大已貴命を勧請したのが始まりとされています。 平安時代には武蔵野に勢力を誇った武士集団「武蔵七党」のうち野与党と私市党の崇敬を集め、その勢力下にあった元荒川流域に久伊豆信仰が広まりました。戦国時代、扇谷上杉家の重臣、太田道灌が岩槻城を築くとその城郭内に総鎮守としておかれます。それ以後、江戸時代まで城の守護神として歴代城主から厚い崇敬をうけ、太刀や神輿など数々の品が奉納されました。近年では平成二十六年「平成の大造営」を行い多くの氏子崇敬者のご奉賛により社殿も新しく蘇り、その御神徳は益々高まっております。
引用元情報
「久伊豆神社 (さいたま市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B9%85%E4%BC%8A%E8%B1%86%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82)&oldid=88335668
概要
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、さいたま市岩槻区宮町二丁目にある神社である。岩槻の総鎮守とされている。旧社格は県社。境内は岩槻城址の一部である。なお、「久伊豆神社」は当社のほかに岩槻区内に8社鎮座している。