ひじりじんじゃ

聖神社


埼玉県秩父市黒谷2191
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

聖神社の基本情報



名称
聖神社
かな
ひじりじんじゃ

詳細情報

名称
聖神社
かな
ひじりじんじゃ
都道府県
埼玉
住所
埼玉県秩父市黒谷2191
アクセス
交通[編集] 秩父鉄道秩父本線 和銅黒谷駅から徒歩約5分、国道140号わき。 秩父鉄道 西武秩父駅等から西武観光バス原谷線に乗車し和銅黒谷駅前下車、徒歩約5分。
行き方
秩父鉄道和銅黒谷駅から徒歩5分
御朱印
あり御朱印には、『和同開珎』の印が押されています。
御朱印帳
あり
創建時代
708年(慶雲5年/和銅元年)
本殿
一間社流造
歴史
由緒[編集] 第43代元明天皇の時代に、武蔵国秩父郡から日本で初めて高純度の自然銅(ニギアカガネ、和銅)が産出し、慶雲5年正月11日に郡司を通じて朝廷に献上された。これを喜んだ朝廷は同日に「和銅」と改元し、多治比真人三宅麻呂を鋳銭司に任命して、和同開珎を鋳造させた[1]。この和銅の発見地が当神社周辺であると伝わる。 社伝によれば、当地では自然銅の発見を祈念して和銅沢上流の祝山(はうりやま)に神籬を建て、この自然銅を神体として金山彦命を祀った。 銅の献上を受けた朝廷は、銅山の検分と銅の採掘・鋳造を監督させるために三宅麻呂らを勅使として当地へ派遣し、共に盛大な祝典を挙げた。和銅元年2月13日...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《合》金山彦命,《主》大日貴命,国常立命,神日本磐余彦命
御由緒
「続日本紀」によると、元明天皇の時代、慶雲5年(708年)に武蔵国秩父郡から和銅(ニギアカガネ)という天然の銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が和銅に改元されたと記されています。 和銅元年(708年)、朝廷は勅使に雌雄一対の和銅製蜈蚣を持たせ、和銅が発見された和銅山前の祝山に、和銅と和銅製蜈蚣を御神体とした神籬を建て祝典を挙げました。祝典ののち、神籬を現在の地へ遷し、聖神社として神鎮められたと伝えられています。 これ以来、蜈蚣は聖神社の御眷属として大事にされています。 聖神社の聖とは、「この上なく耳聡く口すべらかな」(何をお願いしてもよく聞いてくれお願いを叶えてくれる)神様がいらっしゃるという意味でもあります。 昭和11年には、神饌幣帛料供進神社に指定されました。 昭和28年には、三笠宮崇仁親王が参拝し、社前に松をお手植えされました。翌年には勢津子秩父宮妃が参拝されました。 社殿は今まで5回建替えられたことが記録に残っており、現在の移築した社殿は、秩父市有形文化財に指定されています。 旧本殿は新社殿並びに遷され、和銅出雲神社として祀られています。
御利益
縁結び・恋愛成就
引用元情報
「聖神社 (秩父市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%81%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E7%A7%A9%E7%88%B6%E5%B8%82)&oldid=87438236
概要
聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する神社である。 秩父盆地の中央部やや北寄りに聳える簑山から南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に鎮座し、簑山を水源とする川が流下する社前は和銅沢(旧称銅洗沢)と称されている。 慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされる。旧村社。
体験
御朱印お守り

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