大野神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《合》建御名方命,《主》素盞嗚尊,伊弉諾尊,伊弉冊尊,奇稲田姫命,稚日女尊,速秋津日子命,大己貴神
御由緒
「風土記稿」大間村の頃に 「氷川杜 村の鎮守なり、別当を本習院と云」 と載るように、当社は元来氷川神社と称していました。 それを大野神社と改称したのは、 明治40年7月18日のことで、 同日に大字北中野字津門の村社津門社を合祀したことに伴うものでありました。 天慶元年(938年)に、嵯峨天皇の末流の渡部仕(つかう)が大巳貴命の託宣によってこの地に社(やしろ)を造営したことに始まるもので、長元3年(1030年)には源頼義が平忠常の謀反を鎮めるために戦いを何度も挑んだが勝利を得られなかったため、当社に獅子頭を掛けて願成ることを祈ったといいます。 また、神力によって、天永元年(1110年)に沼(現在の逆川)に沈んでいた阿弥陀像を引き揚げ、正嘉年中(1257年~1259年)の干ばつには雨を降らせ、延元2年(1337年)には疫病を退散させるなど霊験あらたかであったが戦乱によって荒廃しました。 その後、村の再興と供に神社も再建され、「明細帳」には天保年中(1830年から1844年)及び明治5年には社殿が老朽化したため、再建が行われました。