ひろせじんじゃ

廣瀬神社


埼玉県狭山市広瀬2丁目23番1号
社務所:毎月1日と15日の午前中のみ開所
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

廣瀬神社の基本情報



名称
廣瀬神社
かな
ひろせじんじゃ

詳細情報

名称
廣瀬神社
かな
ひろせじんじゃ
都道府県
埼玉
住所
埼玉県狭山市広瀬2丁目23番1号
行き方
西武池袋線「入間市駅」から徒歩26分
参拝時間
5分
公開時間
社務所:毎月1日と15日の午前中のみ開所
参拝料
なし
御朱印
あり
御朱印帳
なし
創建時代
景行天皇の御代
本殿
一間社流造
歴史
歴史[編集] 創建は、社伝によれば景行天皇代に日本武尊が東征の折、この地を通りかかった際、この地が大和国広瀬郡川合(現在の奈良県北葛城郡河合町)に似ているとして、その地に祀られていた廣瀬大社の神々を分祀し、武運長久と五穀豊穣を願ったことによる。 これを信ずれば当神社は廣瀬大社の分社ということになるが、日本武尊自身が伝説的人物である上、廣瀬大社にも武蔵国に分祀を行ったという記録は残されておらず、分社であるとは認めがたい。現在では「広瀬」の社号は廣瀬大社に由来するものではなく、この地が川の合流点に位置し広く瀬が広がっているから「広瀬」という自然地名からついたもので、偶然の一致であるとされる。...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》若宇迦能売命《相》八衢比古命,八衢比売命,久那斗命
御神体
不詳
御由緒
「大和時代の景行天皇(第十二代」の御代、日本武尊命東国平定の折、当地が大和の国河合の地に酷似せりと称し親ら幣帛を奉り、(大和の国の)廣瀬の神を斎き祀りて、武運長久国家安穏を祈誓せられしより創始せり」との社伝があり、創立は三世紀頃に遡る。 『狭山市の社寺誌』(昭和五十九年狭山市教育委員会刊行)において「当社は、大和朝廷より勅命により官社に列せられた数少ない神社であり、由緒正しく、当時すでに関東において格の高い名神として崇められていた。狭山市の中で最も古く、格式高い神社である。」と記述されている。 主たる記録は次の通り。 《官社》 『文徳天皇実録』の嘉承三年(西暦850年〆六月三日の条に「武蔵の国の廣瀬の神を官社に列す」との記録あり。 《延喜式内社》 延長五年(西暦927年)編纂されな『延喜式神名帳』に「武蔵国四十四座 入間郡五座の内一つ 廣瀬神社」と登録されている。 《県社》 明治六年郷社、同七年県社に列せられた。
引用元情報
「広瀬神社 (狭山市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BA%83%E7%80%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E5%B8%82)&oldid=84792900
概要
広瀬神社(ひろせじんじゃ)は、埼玉県狭山市広瀬にある神社。式内社で、旧社格は県社。
体験
祈祷御朱印祭り伝説

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