上之村神社の基本情報
詳細情報
公開時間
開門 8:00 閉門 17:00 窓口対応 10:00〜15:00
歴史
歴史[編集] 創建時期ははっきりとしていないが、社伝によると、再建は応永年間に成田五郎家時によってなされたといわれている[1]。その後、成田氏の庇護の下、有力な神社になっていくが、天正18年に、成田氏の忍城が落城し、当社は成田氏の庇護から離れ、徳川氏の支配に組み込まれることになった。慶長9年には、徳川家康により上之村内30石が安堵されている。社名は、明治2年に現在の上之村神社に改められるまで、「久伊豆神社」あるいは「久伊豆明神社」と号していた[2]。 ^ 『熊谷の歴史を彩る 史跡・文化財・人物』(熊谷市立熊谷図書館 2011)p88-89 ^ 『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「上之村神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%8A%E4%B9%8B%E6%9D%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88350547
概要
上之村神社(かみのむらじんじゃ)は埼玉県熊谷市の上之地区にある神社。 境内地の広さは、熊谷市内の神社では随一の広さを誇る。本社、摂社ともに本殿は県の文化財、また境内入口の木製両部鳥居は市内最古で市の文化財に指定されている。 忍城主、成田家の本拠地である「上之」に鎮座。成田氏8代目五郎家時は800年以上前に雷電神社を改修し、中興の祖としてしられる。