ゆうしょうじ

宥勝寺


埼玉県本庄市栗崎155
午前9時より午後5時まで
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

宥勝寺の基本情報



名称
宥勝寺
かな
ゆうしょうじ

詳細情報

名称
宥勝寺
かな
ゆうしょうじ
都道府県
埼玉
住所
埼玉県本庄市栗崎155
アクセス
交通アクセス[編集] JR本庄駅よりタクシー15分 JR本庄早稲田駅より徒歩10分
行き方
JR本庄早稲田駅より徒歩10分
参拝時間
5分
公開時間
午前9時より午後5時まで
参拝料
なし
お手洗い
書院内にありますので玄関のインターホンを押してお気軽にお声がけください
御朱印
あり
御朱印帳
あり
宗旨・宗派
真言宗智山派
山号
西光山
院号
無量壽院
開山・開基
妙清善尼
創建時代
建仁2年
文化財
庄小太郎頼家墓地 (県文化財)
本堂
木造
歴史
歴史[編集] 寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後に本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長の嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一の谷の合戦で戦死したので、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。 これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。 延年2年(1337)新田足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住になった。 荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1556)西光、有荘の両寺を合併して一...Wikipediaで続きを読む
御本尊
不動明王像
御由緒
寺伝によると、武蔵七党の一党である児玉党の一族の荘小太郎頼家が、源平合戦で有名な一の谷の合戦において戦死したため、その菩提を弔うために夫人により建仁年間1201-1204に建立されたのが開山と伝えられる。境内北側の墓地内に、小太郎頼家の墓と伝えられる古びた五輪塔が現存し、県の指定旧跡になっている。 天文六年1537、北条氏と上杉氏の浅見山合戦の戦火のため堂塔を焼失したが、その後の天文二十三年に再建され、当寺宥勝寺は十数ヵ寺の末寺を保有していたと伝えられる。なお、慶安元年1648に三代将軍家光より寺領十石の御朱印を与えられた。
引用元情報
「宥勝寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%A5%E5%8B%9D%E5%AF%BA&oldid=83206557
概要
宥勝寺(ゆうしょうじ)は、埼玉県本庄市栗崎にある真言宗智山派の寺院。山号は西光山。詳しくは西光山無量寿院宥勝寺と称する。本尊は不動明王。
札所
関東八十八ヵ所霊場 第八十六番 関東百八地蔵尊霊場 第十七番 児玉三十三霊場 第十九番 武州十二支霊場亥年霊場
体験
坐禅(座禅)写経・写仏御朱印札所・七福神巡り除夜の鐘

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