宥勝寺の基本情報
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アクセス
交通アクセス[編集] JR本庄駅よりタクシー15分 JR本庄早稲田駅より徒歩10分
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歴史
歴史[編集] 寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後に本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長の嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一の谷の合戦で戦死したので、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。 これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。 延年2年(1337)新田足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住になった。 荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1556)西光、有荘の両寺を合併して一...Wikipediaで続きを読む
御由緒
寺伝によると、武蔵七党の一党である児玉党の一族の荘小太郎頼家が、源平合戦で有名な一の谷の合戦において戦死したため、その菩提を弔うために夫人により建仁年間1201-1204に建立されたのが開山と伝えられる。境内北側の墓地内に、小太郎頼家の墓と伝えられる古びた五輪塔が現存し、県の指定旧跡になっている。 天文六年1537、北条氏と上杉氏の浅見山合戦の戦火のため堂塔を焼失したが、その後の天文二十三年に再建され、当寺宥勝寺は十数ヵ寺の末寺を保有していたと伝えられる。なお、慶安元年1648に三代将軍家光より寺領十石の御朱印を与えられた。
引用元情報
「宥勝寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%A5%E5%8B%9D%E5%AF%BA&oldid=83206557
概要
宥勝寺(ゆうしょうじ)は、埼玉県本庄市栗崎にある真言宗智山派の寺院。山号は西光山。詳しくは西光山無量寿院宥勝寺と称する。本尊は不動明王。
札所
関東八十八ヵ所霊場 第八十六番 関東百八地蔵尊霊場 第十七番 児玉三十三霊場 第十九番 武州十二支霊場亥年霊場
体験
坐禅(座禅)写経・写仏御朱印札所・七福神巡り除夜の鐘
宥勝寺へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] JR本庄駅よりタクシー15分 JR本庄早稲田駅より徒歩10分