唐鈴神社の基本情報
詳細情報
御由緒
伝承によると長松寺は武蔵七党、丹党の一族小島氏の館跡と云われている。地元では唐鈴様と呼ばれ信仰している。 社伝によれば、遣唐使として唐国に渡った大伴宿根古麿が、天平勝宝年間749-757に帰国の折、唐国の玄宗皇帝より渡海安全のため金鈴を授けられた。 その後、古麿は武蔵野国武州小島郷皇坂(長松寺境内)に館を築く。その子古佐美、さらにその子良麿三代がこの地に住んだ。この時、良麿は五穀豊穣のため秘蔵の唐鈴と、出雲国氷川の杵築大社を分霊し二柱を祀り社を創立した、後に、良麿は帰京を任ぜられたが、その際に神宝の盗難を恐れ石函に入れ、社の下に埋めた。 そして幾歳月がすぎ、戦乱の世に社も破壊された。これを嘆いた近在の人々が再興のため社跡を掘ると石函が出土し、中に五つの金鈴があったと言う。石函には、大伴宿根古麿が玄宗皇帝から賜った唐鈴であることが記されていたと伝えられる。これが唐鈴神社の由来である。 なお、社殿裏の交差点一帯は、小島本伝遺跡で、古墳時代の住居跡が発掘されている。また、西方には、県選定重要遺跡の旭・小島古墳群があり、その中の八幡山古墳など数基は、本庄市の文化財にも指定されている。