しょうかくいん

正覚院


埼玉県羽生市南3-9-17
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

正覚院の基本情報



名称
正覚院
かな
しょうかくいん

詳細情報

名称
正覚院
かな
しょうかくいん
都道府県
埼玉
住所
埼玉県羽生市南3-9-17
行き方
情報募集中
御朱印
あり
御朱印帳
なし
宗旨・宗派
真言宗智山派
山号
無上山
院号
正覚院 菩提寺
御本尊
不動明王
御由緒
至徳年間(1384~1387)に羽生へ移ってきた阿宥上人によって開山され、元は下総国猿島郡木立郷の興福寺の末寺でした。 正覚院八世重誉を深く尊信していた古河公方四代足利晴氏は、正覚院を祈願所としています。 同寺には天文14年(1545)の河越合戦の始まった時期に、晴氏から出された戦勝祈祷の礼状が所蔵されています。 激化する羽生城の戦乱のために、現在の埼玉県羽生市上岩瀬に移った時期もあり、現在の場所に遷座したのは文禄2年(1593)第十代深秀のときでした。 その頃、羽生城の戦火もおさまり、城主には新しく大久保忠隣が就いていました。上岩瀬に移る前に鎮座していた場所から1町ばかり離れた土地を忠隣から貰い、遷座したとのことです。 現在、正覚院の裏には曼陀羅堀と呼ばれる排水溝が巡っています。 この正覚院には足利晴氏のほか、多くの古文書が蔵されています。羽生城主広田直繁や木戸忠朝が僧の勝手還俗を禁じた判物や、忠朝が城の堅固を祈る祈願状、そのほか秘法を伝授した証状(印信)や、城代家老の連署状などです。いずれも市の文化財に指定されており、特に印信は羽生市内最古の古文書として知られています。
札所
羽生領二十一ヶ所霊場 2番

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