がんしょうじ

岩松寺


埼玉県羽生市上岩瀬1753
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

岩松寺の基本情報



名称
岩松寺
かな
がんしょうじ

詳細情報

名称
岩松寺
かな
がんしょうじ
都道府県
埼玉
住所
埼玉県羽生市上岩瀬1753
行き方
東武伊勢崎線「羽生」駅西口から徒歩20分
お手洗い
あり
御朱印
あり
御朱印帳
なし
宗旨・宗派
曹洞宗
山号
瑞雲山
開山・開基
【開山】玄珠禅師 【開基】柴山縫殿之助(春桂)
御本尊
釈迦牟尼仏
御由緒
上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。 また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし次のような文が追記されている。 西岩瀬に禅僧がいた。僧は晩年の出家であったが上野国金龍寺の住職にまで上り詰めていた。その僧と親しかった縫殿之介は僧を招き岩瀬に寺院を寄付して岩松寺と号した。縫殿之介に一人の子供がいた。徳川入封後、幼年の折、岩松寺に隠し、成人後、柴山新次郎重吉と名乗った。その後、羽生代官大河内金兵衛に許されたので、岩松寺の法具を整えるとともにその僧・信嶺を招き、父の法要を行った。新次郎は、信嶺を開山にと願ったが、固辞されたので金龍寺6世玄州禅師を勧請し開山とするとともに父縫殿之介に岩松院を贈号して開基とした。信嶺は岩松寺の2世住職となったと記されている。

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