萬福寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] 開山年代不明。戦国時代末期に澄意が再興した[1]。寛永4年(1627年)の鐘の銘に千木氏が天文11年(1542年)に再営したとあり、『新編武蔵国風土記稿』の永田村の項に中興開山の澄意は天正年間(1573年 - 1593年)に没したとある[2][3][4]。紀州根来山清浄金剛院の末寺であったが、元禄10年(1697年)から江戸護国寺の末寺となった[2][3][4]。慶安2年(1649年)に観音堂領3石の朱印を与えられた[2][3][5][4]。 江戸時代は白鬚神社の別当を務めていた[6][7]。『新編武蔵国風土記稿』には「萬福寺 大黒山と號す、新義真言宗、江戸護持院末なり」と...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「萬福寺 (飯能市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%90%AC%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20(%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82)&oldid=88465480
概要
萬福寺(まんぷくじ)は、埼玉県飯能市永田にある新義真言宗豊山派の寺院。山号は大黒山。院号は観音院。高麗三十三ヶ所観音札所の14番札所。万福寺とも表記される。
行事
行事[編集] 『埼玉宗教名鑑』によれば、初甲子大黒祭(1月5日)、歓喜天縁日(9月16日)[1]。『飯能市史』によれば、初甲子祭(1月)、12年目ごとに御開帳と甲子大黒天祭が行われる[2]。 ^ 大江ほか編 1978, p. 241. ^ 飯能市史編集委員会編 1982, p. 86.