毛長神社


埼玉県草加市新里342
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

毛長神社の基本情報



名称
毛長神社
かな

詳細情報

名称
毛長神社
都道府県
埼玉
住所
埼玉県草加市新里342
行き方
情報募集中
お手洗い
あり
御朱印
あり
御朱印帳
なし
御祭神
《主》毛長姫命,《配》大己貴命,倉稲魂命,別雷槌神
御由緒
(草加市教育委員会「毛長神社」掲示板より) 新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。 毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。 御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素戔嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。 鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。

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