源昌院の基本情報
詳細情報
御由緒
源昌院は「分福茶釜」で有名な群馬県館林市の茂林寺の孫寺で、禅宗寺院としては珍しく地蔵菩薩を本尊としています。 「新編武蔵風土記稿」によると、開基は羽生城主・木戸忠朝の家臣・鷺坂軍蔵(不得道可)とされ、開山として羽生市藤井上組の源長寺から 徳岩正道大和尚を招き、慶長十年(1605) に創建されました。 戦国時代、羽生市役所の北方付近には、羽生城という蓮池に浮かぶ平城があり、木戸忠朝が城主を努めていました。忠朝は、関東管領・上杉謙信の忠臣で、終始一貫して謙信に仕えた武蔵國で 唯一の武将として知られます。 忠朝の最期については諸説のこされていますが、その一つに、天正二年(1571)の羽生城最後の戦いの際に、稲子村で自刃したという伝説があります。忠朝は戒名を「久昌院源心長公居士」といい、これは当院の名前の由来となっています。 (由緒書より)