修善院の基本情報
詳細情報
御由緒
延文4年(1359)の創立、開山は智観房日貞上人。日貞上人は下総千葉大隅守・平胤貞の子で、幼少より中山法華経寺第2世日高上人の弟子となり、法兄の法華経寺第3世・浄行院日祐上人の委嘱を受けて松尾山光勝寺を開創し、九州総導師職に就き、盛んに布教活動を行った。延文年間(1356-1360)に松尾西谷に本福寺・修善院を開創し、光勝寺末寺とした。 日貞上人は光勝寺第2世となるも、晩年下総中山に還って法宣院を開創し、実兄である日胤上人を開山に迎え、日貞上人は法宣院第2世となった。 寛永3年(1626)修善院第10世日継上人の代に、佐賀藩祖鍋島直茂の正室陽泰院の帰依を受けて、現在地平井に境内地5反20歩と25石の寺領を賜り、移転再興した。長教山の山号は、陽泰院の父・石井常延(日教)、母・蓮華院(日長)の法名にちなむ。以来、廃藩に至るまで、当寺は鍋島氏・石井氏の保護を受けた。 第32世日秀上人の代より堂宇の改築を行い、昭和54年(1979)第34世大平智塋上人の代に現在の本堂・納骨堂・鬼子母神堂等が新築されて寺観一新となった。現在は、「平井の鬼子母神様」のお寺として有名である。また、昭和34年大平智塋上人は、たちばな保育園を設立し今日に至る。 寺宝としては、浄行院日祐上人の手紙・慶長18年(1613)作の釈尊像・身延山久遠寺第73世新居日薩上人の本尊等がある。