蟹井神社の基本情報
詳細情報
行き方
南海高野線天見駅下車。南に遊歩道に沿って12分(1キロ)の場所にあります。
御祭神
《主》神倭磐余彦命(神武天皇),《配》品陀和気命(応神天皇),息長足比売命(神功皇后),玉依比売命(神武天皇の母)
御由緒
1054年(天喜2年)創建と伝えられる。当初は甲斐神社と呼ばれていたが、1676年(延宝4年)に焼失後、再建されて蟹井神社に改称されたとされる。1692年(元禄5年)に書かれた「寺社吟味帳」には、蟹井八幡宮と書かれていた。1908年(明治41年)に岩瀬地区にあった菅原神社が合祀された。 橿原神宮へと続く神武東征ルート上にあり、日本の初代天皇神武天皇が、御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察なされた時、今の神社の北側に天見川の大石、小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神を祀り給いて戦勝を祈願され、その後、天喜2年(1054年)に至り社殿を造立して8月19日神倭磐余彦命外三柱を祀ったとされる。 元弘、建武の頃は南朝、楠木正成(楠木氏:大楠公)の武将の戦勝の祈願所となった。神社の氏地である「出合ノ辻」は、南北朝時代の古戦場で、正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた。現在でも所在地の天見は地名となっている。当時は宗厳なる社殿を存していたが、延宝四年炎上し、今の社殿は其の後の再建である。 明治5年に村社に列せられ、明治40年11月5日、岩瀬の村社菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神社・高良神社・八阪神社を合祀し、同41年12月神饌幣帛料共進社に指定される。
体験
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蟹井神社へのアクセス
行き方
南海高野線天見駅下車。南に遊歩道に沿って12分(1キロ)の場所にあります。