樟本神社の基本情報
詳細情報
御由緒
この地は、物部氏の佳地であり、この社はその祖神をまつったものである。北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神明帳には樟本神社三座と記されている。このあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったのでこれを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のちに「大本」となったと伝える。 境内には黄檗宗日羅寺がある。薬師如来を本尊とする。日羅は百済へ渡り重く用いられた。敏達天皇は任那滅亡後、日羅を呼び戻し百済の政情をたずねたところ「兵事よりも、百姓保護に努め、国力を充実して、百済を討つべし」と説いた。このため同行して来朝した百済使臣のために暗殺された。 厨子は、延宝八年(1680)平野の豪族末吉勘兵衛利長の寄進によるという。