くめだでら

久米田寺


大阪府岸和田市池尻町934
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

久米田寺の基本情報



名称
久米田寺
かな
くめだでら

詳細情報

名称
久米田寺
かな
くめだでら
都道府県
大阪
住所
大阪府岸和田市池尻町934
アクセス
交通[編集] JR西日本阪和線久米田駅 → 南東へ徒歩約1km 南海本線岸和田駅より南海ウイングバス「池尻」下車 → 南西へ徒歩約300m 参拝者用の無料駐車場有
行き方
JR阪和線「久米田駅」より徒歩10分
参拝料
なし
お手洗い
楼門の隣にあり
御朱印
あり
御朱印帳
なし
宗旨・宗派
高野山真言宗
山号
龍臥山
院号
隆池院
開山・開基
行基
創建時代
天平六年(734)
文化財
星曼荼羅図、仁王経曼荼羅図、安東蓮聖像、楠家文書、大塔宮令旨、久米田寺文書、北畠覚空書状(国指定重要文化財) 光明塚古墳、志阿弥法師塚(市指定史跡)
歴史
歴史[編集] 行基が開削指導したため池のひとつである久米田池を維持管理するため、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられる。当時の寺域は下記の古記の記述の通り、かなりの規模であったと推測される。これが院号「隆池院」の由来である。 「 東は角河の流れ、春木の峯ならびに上の津川の東峯、七層の峯を限り、南は葛城の横峯、西は松村の登路ならびに延年ヶ峯・八坂切上を、そして北は熊野詣大通を限りに、この四至内の田畑地利を挙げて仏聖の灯油重僧のころ依怙となさしむ 」 平安時代になると奈良興福寺一乗院の支配下にあった。鎌倉時代、承久の乱により武士が乱入し荒廃したが、鎌倉時代中期になって...Wikipediaで続きを読む
御本尊
釈迦如来
御由緒
久米田寺は、行基四十九院の一つに数えられる寺院で、天平十年(738)(一説に天平六年)に僧行基が久米田池の維持管理のために建立した隆池院に始まります。平安時代末期から鎌倉時代にかけて五摂家の一つ九条家の保護下に入ったものの一時荒廃したと伝えられ、鎌倉幕府の有力者安東蓮聖が東大寺僧より別当職を買得して復興に乗り出しました。弘安五年(1282)、西大寺叡尊を導師を招いて落成供養が営まれ、以後、真言宗・律宗・華厳宗兼学の寺院として、各地から多くの学僧がここに学び、高僧を輩出しました。 南北朝時代には足利尊氏・直義兄弟が利生塔を全国で最初に久米寺に建立し、仏舎利を奉納するなど、手厚く保護しましたが、一方、南朝も寺領を安堵するなど、久米田寺は両朝から保護をうけて繁栄しました。江戸時代以降は真言宗寺院となり、現在に至ります。 寺宝の「星曼荼羅図」「仁王経曼荼羅図」「安東蓮聖像」「楠家文書」「大塔宮令旨」「久米田寺文書」「北畠覚空書状」は国の重要文化財に、境内は大阪府の史跡に指定されています。
引用元情報
「久米田寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B9%85%E7%B1%B3%E7%94%B0%E5%AF%BA&oldid=89515838
概要
久米田寺(くめだでら)は、大阪府岸和田市にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は龍臥山。本尊は釈迦如来。行基ゆかりの寺院である。
札所
和泉西国三十三箇所第23番札所
体験
重要文化財札所・七福神巡り

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