ちょうきゅうじ

長久寺


大阪府大阪市中央区谷町8-2-49
9:00〜16:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

長久寺の基本情報



名称
長久寺
かな
ちょうきゅうじ

詳細情報

名称
長久寺
かな
ちょうきゅうじ
都道府県
大阪
住所
大阪府大阪市中央区谷町8-2-49
アクセス
交通[編集] Osaka Metro谷町線・Osaka Metro中央線谷町六丁目駅から徒歩5分 Osaka Metro谷町線・Osaka Metro千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分
行き方
情報募集中
公開時間
9:00〜16:00
御朱印
あり
宗旨・宗派
日蓮宗
山号
大圓山
開山・開基
日長上人/淀君
創建時代
1579年(天正7年)
歴史
歴史[編集] 寺伝では天正7年(1579年)に日長によって創建されたとする。その後、天正17年(1589年)4月に淀殿(淀君)が子の豊臣秀頼の武運長久を祈願するため、片桐且元、大野修理之介(大野治長)が奉行となり、大坂城築城の余材をもって本堂が建立された[1]とするが、秀頼はまだ生まれておらず年代が合わない。しかし、こうした話から当寺は淀君の寺とも呼ばれている。 正徳2年(1712年)6月、本堂以外の堂宇が焼失するが、宝暦・明和年間(1751年 - 1772年)に復興した。 明治時代になると廃仏毀釈もあって当初は衰微していたが、後に諸堂の修繕が行われている。 1937年(昭和12年)には...Wikipediaで続きを読む
御由緒
当山の縁起は、1579年(天正7年)豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。 1712年(正徳2年)本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、宝暦(1751~64年)、明和(1764~71年)年間に復興した。 その後盛衰興廃があったが、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小され現在に至っている。現在の本堂は1963年(昭和38年)の完成で、鉄筋コンクリート造りである。 淀君が建立し、400年近く維持されてきた本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩院として活用されており、その他、淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市・妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存しているとのことである。これらのことから、当院の最盛期での規模の大きさが伺うことが出来る。 尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人である、原惣右衛門の墓がある。
引用元情報
「長久寺 (大阪市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E4%B9%85%E5%AF%BA%20(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)&oldid=88914426
概要
長久寺(ちょうきゅうじ)は、大阪市中央区にある日蓮宗の寺院。山号は大圓山。本尊は一塔両尊。大阪七福神の福禄寿を祀る。
札所
大阪七福神(福禄寿)
体験
札所・七福神巡り

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