太融寺の基本情報
詳細情報
行き方
Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩7分 Osaka Metro御堂筋線「梅田駅」より徒歩10分 JR東海道本線・大阪環状線「大阪駅」より徒歩10分 阪急電鉄本線「大阪梅田駅」より徒歩10分 阪神電鉄本線「大阪梅田駅」より徒歩10分 「曽根崎警察署」より東へ 「東急インホテル」向かい
公開時間
8:00〜17:00(16:30受付終了) ※8日・18日・28日は6:00〜
御朱印
あり通常いただける御朱印が6種類あります。特に指定
歴史
歴史[編集] 伝承によれば、弘仁12年(821年)、空海(弘法大師)がこの地にあった霊木から地蔵菩薩と毘沙門天を作製し、それを祀る草庵を結んだことが当寺の始まりとされる。翌年には嵯峨天皇の勅願により空海が天皇の念持仏である千手観音を本尊として正式に寺院としたと伝える。 承和10年(843年)に嵯峨天皇の皇子である左大臣源融によって境内地が広げられ、八町四面の七堂伽藍が建立された。その際、山号を佳木山とし、源融の諱から寺名を太融寺と改めた上、鎮守社として神野太神宮(現:綱敷天神社)も創建されている。以後は浪華の名刹として参詣者で賑わった。 慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣の兵火で全...Wikipediaで続きを読む
御由緒
弘仁12年(821年)にこの地に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建されました。ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。当時を偲ぶ境内地の名称は今に伝えて、太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等として残って居ります。 元和元年(1615年)5月、大阪城落城のとき兵火で全焼しましたが、元禄年間に太堂、南大門など諸堂25棟が復興して、“北野の太融寺”と市民に親しまれ大いに栄えました。 昭和20年(1945年)6月戦災で堂塔伽藍一切が灰燼に帰しましたが、ご本尊千手観世音菩薩は無事難をまぬがれました。戦後再建に着手、本堂、大師堂、不動堂、宝塔、客殿、本坊、庫裡、鐘楼、東・西・南・北門、御供所20余棟が復興しました。
引用元情報
「太融寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%AA%E8%9E%8D%E5%AF%BA&oldid=89004826
概要
太融寺(たいゆうじ)は、大阪市北区太融寺町にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は佳木山。本尊は千手観音。新西国三十三箇所第2番札所。 嵯峨源氏の祖である嵯峨天皇第十二皇子源融ゆかりの寺で、古くから当寺付近の地名にもなっている。 「大融寺」と誤記されることもあり、中近世の文書に多い。
札所
新西国三十三ヶ所霊場第2番 近畿三十六不動尊霊場第6番(一願堂) おおさか十三仏霊場第8番 摂津国八十八ヶ所霊場第6番(大師堂) ぼけ封じ観音霊場第7番 神仏霊場第51番札所 なにわ七幸めぐり(大師堂)
太融寺へのアクセス
行き方
Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩7分 Osaka Metro御堂筋線「梅田駅」より徒歩10分 JR東海道本線・大阪環状線「大阪駅」より徒歩10分 阪急電鉄本線「大阪梅田駅」より徒歩10分 阪神電鉄本線「大阪梅田駅」より徒歩10分 「曽根崎警察署」より東へ 「東急インホテル」向かい