苔山龍王御堂の基本情報
詳細情報
御由緒
織田信長時代の土佐藩の家老(氏名不詳)御夫婦がこの地で返り討ちに合い、後に豊臣・徳川の夏の陣・冬の陣の戦に天下茶屋一帯が戦場となって多くの霊がさまよい、徳川家光の慶安三年正月この碑が建立されたものですが、その後、長い年月の間に碑が倒れてしまい、いつの間にか溝川の橋に使われていました。なぜか橋を渡った者に事故が多かったと言われていました。 昭和四年南海電鉄線路改修の際、その溝川が埋められた時、この碑が出てきましたので、事故の多いのは佛罰がこうむりしものとして、近隣有志が有寄り現在の所に御堂が建立供養し当時の町名をとり苔山龍王と命名され地域の守護神として祭られています。