阿部野神社の基本情報
詳細情報
行き方
阪堺電車 阪堺線「天神の森」下車、南東の方向約200m 阪堺電車 上町線「北畠」下車、西の方向約500m 南海本線「岸里玉出」下車、東南東の方向約300m
御由緒
北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平9年(1354)4月17日、病にて薨じられた。御年62歳であった。顕家公は親房公の御長子で、元弘3年(1333)8月、陸奥守に任じられ、同10年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)、京都回復のため再度上洛して5月22日、御年21歳で戦没された。現在の神社の鎮座地は北畠顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治十五年一月阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同十八年五月に創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行された。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ
阿部野神社へのアクセス
行き方
阪堺電車 阪堺線「天神の森」下車、南東の方向約200m 阪堺電車 上町線「北畠」下車、西の方向約500m 南海本線「岸里玉出」下車、東南東の方向約300m