円珠庵(鎌八幡)の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 大阪環状線及び地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅より、西に徒歩12分。 近鉄上本町駅より、北に徒歩11分。 地下鉄長堀鶴見緑地線並びに地下鉄谷町線谷町六丁目駅より、東に徒歩12分。
行き方
JR環状線「玉造駅」より徒歩15分 近鉄大阪線「大阪上本町駅」より徒歩15分 Osaka Metro谷町線「谷町六丁目駅」より徒歩15分
公開時間
8:00~17:00/祈祷受付9:00〜17:00
歴史
歴史[編集] いつ頃からかはよくわかってはいないが、この辺りにあった三韓坂といわれる道の横に榎のご神木と祠があり、そのご神木に向かって「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を付き刺すという風習が生まれた。ご神木は次第に「鎌八幡」と呼ばれるようになった。 慶長19年(1614年)、この地のすぐ東側に新たな大坂城の曲輪として真田丸を築いた真田信繁がこのご神木に参拝し、習わし通りに鎌をご神木に刺したところ、大坂冬の陣の際の真田丸の戦いで徳川方に勝利した。戦後、信繁はそのお礼としてご神木の祠を建て替えたという。 延宝9年(1681年)6月、百姓太郎左衛門が真言宗御室派妙法寺住持で古典研究家である契沖阿闍...Wikipediaで続きを読む
御由緒
遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていた。 下って、大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。 江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。 大正11年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定を受けたが、境内の大部分は、戦災で損壊したあと復興したものである。その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。
引用元情報
「円珠庵」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%86%86%E7%8F%A0%E5%BA%B5&oldid=85488281
概要
円珠庵(えんじゅあん) 大阪府大阪市天王寺区空清町にある真言宗豊山派の寺院。別称である鎌八幡の呼び名で知られる。摂津国八十八箇所第15番札所でもある。
体験
祈祷絵馬武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り
円珠庵(鎌八幡)へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 大阪環状線及び地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅より、西に徒歩12分。 近鉄上本町駅より、北に徒歩11分。 地下鉄長堀鶴見緑地線並びに地下鉄谷町線谷町六丁目駅より、東に徒歩12分。
行き方
JR環状線「玉造駅」より徒歩15分 近鉄大阪線「大阪上本町駅」より徒歩15分 Osaka Metro谷町線「谷町六丁目駅」より徒歩15分