聖徳寺の基本情報
詳細情報
御由緒
当山は、和銅7年(714年)6月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町 上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに 森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田中に移し ました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を 建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子 を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊 として安置した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。 [和霊大明神] 和霊大明神の功徳と由来 当寺の鎮守、和霊大明神は厄除けの神として、また願い事は必ずかなえてくれると 言う津山地方で名 高い神様で、祭神は山家清兵衛公頼公(やんべ せいべいきよ もりこう)といい、四国は伊予の宇和 島藩の家老で、仙台藩主・伊達政宗の子、秀 宗に仕えた人。公は藩主を助け藩政上に手腕をふるい、 大いに治績と名声あげま したが、その反面これを怨みに思う者が出てきて、謀略にあい殺された。時 に元 和6年夏清兵衛25歳でありました。 この時、公は死ぬ間際に、「われに救いを求め る者には、われ必ず、その願いを聞かん」と言い残し て、息を引き取ったという。そ の後藩主が山頼和霊神社として、公を祭神としてお祭りするにいたっ た。聖徳寺は この山家清兵衛公頼公を祭神とする和霊神社の分神を当寺の鎮守として祭っています。 毎年7月30日は縁日として、夜7時より和霊まつりをおこない、夏の夜に堂内で大般若転読法要また 境内にて柴灯大護摩の祈願法要を行ないます。
札所
美作88ヶ所霊場 77番札所 美作国七福神霊場 寿老人
体験
祈祷仏像御朱印お守り祭り札所・七福神巡り除夜の鐘法話