天津神社の基本情報
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御由緒
人皇第十二代景行天皇の御宇の創設に係り人皇第三十六代孝徳天皇の勅願所たりと云ひ傳へ延喜式内社の一ならむと推稱せらる。 社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れのため此の地に移し造営したりと傳ふ。 此の地方は往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ媛と契らせ給へりと云ふ。史寶と御二方の間に生れましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ遠近を開拓統治給へりと云ふ傳説とに徴すれば、此の地は神代に於て国津神の威武を内外に発揚し給へる。重要なる基地たりしを想察するに足る。ただ神社名が天津神社と呼ばれ、境内別に奴奈川神社の存するら後世天神地祇其の處を換へたるに依るならむか。