安禅寺の基本情報
詳細情報
御由緒
『蔵王権現堂の別当寺、修験堂の本山であった当寺は、道昭上人の開山により、和銅二年(709)大和国吉野蔵王権現を模刻して古志郡楡原に勧請したが、保元の乱の戦災をうけて三島郡矢田を経て仁治年間(1242)現在地に遷座されたと伝えられている。中興の祖であった義道大僧正の入寂、宝永七年(1710)以後東叡山輪王寺宮の御兼帯となり、教儀は信徒に任かせられ長く別当の職は中絶していた。 安政二年(1855)慈性法親王の命によって安住院亮貫は、浅草寺より安禅寺別当に転住した。戊辰の役の戦火で寺は灰爐に帰し、明治三年(1870)神仏分離によって廃寺となり、蔵王権現堂を守るためには還俗して三芳野千春と称し金峯神社の社司にならざるを得なかった。その後寺再興の志黙し難く、神官を辞して比叡山に入り修行に専心した。明治十七年(1884)になって寺の復興を許可され、今日に至っている。』