圓超寺の基本情報
詳細情報
御由緒
『明治三十六年(1903)火災にあい、鐘楼のみは免れたが、本堂庫裡全焼し、現堂宇はその後の建立になるものである。 この火災で寺宝・古記録を焼失しているので、往古のことは明らかにし得ないが、今から約三百五十年前現在地を距ること東に一町余の路傍に庵寺同様の建物があった。文化年間(1804~18)檀家の次右衛門なるものが、現在の境内敷地を寄進して堂宇を建立し移遷した。 口伝によれば深沢村(現・長岡市深沢町)願誓寺より分寺したものという。その後一時寺運衰頽したが、南蒲原郡見附町大崎某なる者がその後を継ぎ今日に至っている。現住は十三世大崎俊燁である。』