興福寺の基本情報
詳細情報
アクセス
アクセス[編集] 近鉄奈良駅より東へ徒歩7分。 奈良駅(JR西日本)より三条通りを東へ約1.2Km、または奈良交通バスに乗車して県庁前バス停下車。
行き方
JR 奈良駅 市内循環バス「県庁前」下車すぐ 近鉄 奈良駅 徒歩5分
御朱印
あり通常いただける御朱印は5種類です。御詠歌は柔ら
歴史
目次 1 歴史 1.1 創建 1.2 南都北嶺 1.3 廃仏毀釈による破壊 1.4 現在 歴史[編集] 創建[編集] 藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)に山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。 和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた[注 1]。この710年が実質的な...Wikipediaで続きを読む
御由緒
藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。 和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。 その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。
引用元情報
「興福寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=89033711
概要
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所となっている。また、境内にある一言観音堂は南都七観音巡拝所の一つである。
興福寺へのアクセス
アクセス
アクセス[編集] 近鉄奈良駅より東へ徒歩7分。 奈良駅(JR西日本)より三条通りを東へ約1.2Km、または奈良交通バスに乗車して県庁前バス停下車。
行き方
JR 奈良駅 市内循環バス「県庁前」下車すぐ 近鉄 奈良駅 徒歩5分