元興寺の基本情報
詳細情報
行き方
近鉄奈良駅 徒歩・・駅から15分 バス・・福智院町下車、徒歩5分 JR奈良駅 徒歩・・駅から20分 バス・・田中町下車、徒歩5分
公開時間
9:00〜17:00(入門は16:30まで)
御朱印
あり「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」
歴史
歴史[編集] 飛鳥寺(明日香村) 現在、「史跡元興寺」として指定されている地域は、奈良市中院町の「元興寺極楽坊」、同市芝新屋町の「元興寺塔跡」、同市西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所である。これらはいずれも、蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の本格的寺院、法興寺(現在の飛鳥寺)の後身である。 和銅3年(710年)の平城京遷都に伴って、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)などは新都へ移転した。法興寺は養老2年(718年)平城京へ移転したが、飛鳥の法興寺も廃止はされずに元の場所に残った。通常、飛鳥にある寺を「法興寺」「本元興寺」、平城京の方の寺を...Wikipediaで続きを読む
御由緒
元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。
引用元情報
「元興寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA&oldid=88721788
概要
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。
元興寺へのアクセス
行き方
近鉄奈良駅 徒歩・・駅から15分 バス・・福智院町下車、徒歩5分 JR奈良駅 徒歩・・駅から20分 バス・・田中町下車、徒歩5分