添御縣坐神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》建速須佐之男命,武乳速之命,櫛稲田姫之命
御由緒
御由緒 当神社の名称は、「大和の国の添郡に設置された御県に鎮坐する神社」を意味する。 創建の年代は不詳ながら、古墳時代の遡ると考えられる。古老の口伝によると、三柱の祭神の内、武乳速之命は実は大和の先住民の首長・長髄彦で、神武天皇による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り、改称したという。 現本殿は南北朝時代末期の永徳3年(1383)の建立で国指定重要文化財。例大祭は10月第3日曜日、市内随一の児童数最多地域として多くの子供で賑わう。
体験
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