畝尾都多本神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当社には泣沢という井戸が御神体として祀られているため、泣沢女神は大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様ということになる。 その井戸には和歌が残っている。 哭沢の 神社に神酒すゑ 祷折れども わご大君は高日知らしぬ その左注に、 「右一首、類聚歌林に曰はく、桧隈女王の泣沢神社を怨むる歌といへり。日本紀を案ふるに云はく、十年丙申の秋七月辛丑の朔の庚戌、後皇子命薨りましぬといへり」 と記されている。 これは、持統天皇十年(696)に、桧隈女王が再生の神に神酒を捧げ、高市皇子の延命を祈ったのに蘇ることはなかったという泣沢女神を恨む和歌である。 この和歌が『万葉集』に記されている事から、当社は飛鳥時代には既に存在していたと考えられる。