忍坂坐生根神社の基本情報
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アクセス
交通アクセス[編集] 近鉄大阪線大和朝倉駅から南方へ1km
歴史
歴史[編集] 概史[編集] 創建年代は不詳だが、天平2年(730年)の『大和国正税帳』に「生根神戸」、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に「生根神一戸大和」と名前が見えることからそれ以前からの創建と見られる。『延喜式神名帳』では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸時代には単に「生根神社」と称しており、磐座もあることから移転することなくこの地で祭祀されていたとされる。かつては神宮寺として元禄2年(1689年)に建立された石井寺薬師堂があった。 神階[編集] 天安3年(859年)1月27日、従五位下より従五位上(『日本三代実録』)- 表記は「忍坂生根神」
御由緒
当社は天平二年(730年)の『大倭国正税帳』に、また延長五年(927年)の『延喜式』神名帳にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山を御神体とし拝殿の北側に神が鎮座す「石神」と称する自然石十数個を並べた磐座があります。 この忍阪の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた「意栄沙加宮」の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。また忍阪大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、『大和志料』では額田部氏の祖天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書『大同類聚方』に当社相伝の「以久禰薬」(額田部連の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王と鏡女王姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(第34代舒明天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
引用元情報
「忍坂坐生根神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%8D%E5%9D%82%E5%9D%90%E7%94%9F%E6%A0%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=86280277
概要
忍坂坐生根神社(おしさかにますいくねじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社である。式内大社で、旧社格は村社。
忍坂坐生根神社へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 近鉄大阪線大和朝倉駅から南方へ1km