江東寺の基本情報
詳細情報
御由緒
当寺はは、南有馬村にあった原の城主十四代有馬修理晴信の実弟・義純が二才にして出家して後、永禄元年(1558)島原半島北有馬村田平に郡内最初の禅寺として開山した。 有馬公が日向延岡に移され二年後に奈良五條から松倉豊後守重政が城主となり、島原に城を移すに連れて当寺も城下今村に移転し松倉城主の菩提寺となった。時に江東寺第三世の時である。 寛政四年四月一日雲仙岳の爆発に伴う大地震と大津波により江東寺も埋没した。第十五代説外実言和尚は二十五年に亘り浄財を集め文政七年に現在の堂宇を再建した。 昭和三十三年墓地中央の小高い場所に第二十八世大成禅光和尚の発願により日本一涅槃像を建設。その横に当寺開基松倉重政公の墓と島原の乱幕府司令板倉重昌公の墓がある。山門の横にある十徳延命地蔵尊は無縁の墓地を整理して諸霊を慰め、本堂奥には昭和三十七年に起工してより現在までに増築を重ね1,179(昭和六十年)の納骨式位牌堂があって担信徒の祖先の霊が祀られている。