大田井山 極楽寺の基本情報
詳細情報
公開時間
お参りはいつでもご自由にしていただけます。 車椅子をご利用の方も、どうぞご心配なくお参りください。 御朱印の他、境内の案内も承っています。お気軽にお声掛けください。
歴史
歴史[編集] 仁平2年(1152年)に当時の国主大名が開基し、幸覚院一世を招き迎えて開山(初代住職)とした。以来、領主の保護により栄えていたが、乱世に変遷する中衰退していく。鎌倉時代になると、建長5年(1253年)に僧澄舜(ちょうしゅん)が寺院を復興させた。 戦国時代になると、天文24年(1555年)に島津忠親が寺院の建物群を再興し、飫肥城の祈願寺と定めた。忠親は都之城城主北郷忠相の嫡男であったが、島津本家の命により天文15年(1547年)飫肥城に養子縁組して城下を治めた。また、忠親は神仏に対し信仰があつく、極楽寺の他にも社殿を興しており、永禄6年(1563年)櫛間院十三所大明神(現在の...Wikipediaで続きを読む
御由緒
❖極楽寺のおこり 1152年に当時の国主大名が開基し、幸覚院一世を招き迎えて開山。 以来、領主の保護により栄えていたが、乱世に変遷する中衰退していく。 1253年に僧澄舜が寺院を復興させた。 ❖新納家の墓所 1485年に島津家氏族で家臣である新納是久は、 飫肥城主の兄忠続に反抗し、この戦いで飫肥河原に討ち死にした。 後年に島津氏はこの墓を訪ねあて、極楽寺に墓石の管理と、 折々の供養を依頼した。 ❖飫肥城の祈願寺 1555年に島津忠親が寺院の建物群を再興し、飫肥城の祈願寺と定めた。 忠親は都之城城主北郷忠相の嫡男であったが、 島津本家の命により飫肥城に養子縁組して城下を治めた。 ❖信仰に支えられて 1831年に不慮の火災に見舞われ焼失してしまう。 さらに、明治維新の廃仏毀釈において廃寺となったが、 檀信徒の手により1879年に再建される。 現在の本堂は1976年に改築されたものである。
引用元情報
「極楽寺 (串間市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A5%B5%E6%A5%BD%E5%AF%BA%20(%E4%B8%B2%E9%96%93%E5%B8%82)&oldid=66439070
概要
極楽寺(ごくらくじ)は、宮崎県串間市にある高野山真言宗の寺院。山号は大田井山と称する。九州三十六不動霊場十四番札所。本尊は不動明王である。また、島津忠親が飫肥城の祈願寺と定めるなど島津家に深い関わりを持つ寺院であり、境内には島津家氏族の新納家一統の墓とされる五輪塔群がある。
体験
写経・写仏祈祷お祓い結婚式仏像傾聴御朱印お守り重要文化財人形供養札所・七福神巡り除夜の鐘法話