りっしょうじ

立正寺


宮崎県宮崎市末広1-6-1
基本的に年中無休。午前8時から午後8時まで開門。
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

立正寺の基本情報



名称
立正寺
かな
りっしょうじ

詳細情報

名称
立正寺
かな
りっしょうじ
都道府県
宮崎
住所
宮崎県宮崎市末広1-6-1
行き方
橘通り2丁目バス停から500m(徒歩約8分) 宮崎県庁から700m(車約2分) JR宮崎駅から2㎞(車約6分) 高速道路 宮崎ICから7㎞(車約15分) 宮崎空港から8㎞(車約20分)
参拝時間
約10分
公開時間
基本的に年中無休。午前8時から午後8時まで開門。
参拝料
なし
お手洗い
本堂内にあり
御朱印
あり毎月1日~15日は限定御朱印(限定御首題)をい
宗旨・宗派
日蓮宗
院号
身延山宮崎別院
開山・開基
森下日裕上人
創建時代
大正9年(1920年)
文化財
スリランカ国ガンガラーマ寺院より奉安の仏舎利(お釈迦様のご遺骨)
本堂
現代式
歴史
沿革[編集] 明治36年(1903年)、宮崎県へ田中智學が布教を始める 明治38年(1905年)、梶原トクにより日蓮本宗婦人会が結成される 明治39年(1906年)、中川美之作が日蓮本宗信積講を結成、愛媛県伊予の清水是教、鹿児島県の浅野常瑞、熊本県の江淵啓勇などに、宮﨑県への布教を依頼 明治41年(1908年)、米井寿三郎により宮崎妙法講が発足 大正9年(1920年)、「日蓮宗宮崎教会所」として認可され、輪番布教を行うようになる 昭和3年(1928年)、長崎県から森下龍宣日裕が入山し、正式に開山となる 昭和9年(1934年)、「身延山宮崎別院」の称号を受ける 昭和10年(1935年)、寺...Wikipediaで続きを読む
御本尊
一塔両尊 総合曼荼羅御本尊
御由緒
立正寺(りっしょうじ)は、明治36年(1903年)に国柱会という会を結成した田中智學が宮崎へ布教に訪れたことに始まります。 後に、身延山布教師であった森下龍宣(日裕)上人が前任地の長崎県より入山し、大正9年(1920年)に日蓮宗宮崎教会を創設しました。 昭和9年(1934年)に日蓮宗総本山である身延山より宮崎別院の称号を受け、翌年に立正寺と寺号公称されました。 その後、森下恵照(日雄)上人代には、昭和45年(1970年)から31年間にわたり社会福祉法人立正保育園を設立運営し、平成4年(1992年)にはスリランカ国のガンガラーマ寺と友好寺院盟約をかわし、また同寺院より仏舎利(ぶっしゃり、お釈迦様のご遺骨の一部)を受けました。 現在の本堂は、現住職、森下恵裕(日訓)の代、平成12年(2000年)に全面新築されものです。 本堂ならびに客殿は全イス席となり、明るく、心落ち着くお寺として、宗教を問わず参拝者に喜ばれています。
引用元情報
「立正寺 (宮崎市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AB%8B%E6%AD%A3%E5%AF%BA%20(%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82)&oldid=86850146
概要
立正寺(りっしょうじ)は、宮崎県宮崎市末広にある日蓮宗の寺院。日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の別院であるため、独自の山号は持たず、身延山宮崎別院立正寺と称する。 別称に立正寺運勢相談所。
体験
写経・写仏祈祷おみくじお祓い絵馬仏像傾聴御朱印お守り人形供養法話

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