あきうじんじゃ

秋保神社


宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22
社務所:9:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

秋保神社の基本情報



名称
秋保神社
かな
あきうじんじゃ

詳細情報

名称
秋保神社
かな
あきうじんじゃ
都道府県
宮城
住所
宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22
行き方
情報募集中
公開時間
社務所:9:00~17:00
御朱印
あり
御朱印帳
あり
創建時代
大同三年(808年)
歴史
由緒[編集] 社伝によれば、秋保神社の創建は平安時代初期の大同3年(808年)、坂上田村麻呂がこの地に熊野神社を祀ったのが初めと伝わる。 室町時代には、秋保村領主の先祖であり最上に流浪していた平盛房が、信州の諏訪大社に本土回復と居城奪回を祈願し叶えられたことにより、諏訪大神の御霊を勧請して諏訪神社として祀って以来、「戦の神」として崇敬されるようになった。 慶長5年(1601年)には仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護されて大社が建立される。正保3年(1646年)、第2代仙台藩主伊達忠宗の参詣があり、伊達家の永久祈祷が仰せ付けられた。 明治42年(1909年)、明治天皇の勅命に...Wikipediaで続きを読む
御祭神
・建御名方命 (たけみなかたのみこと) ・天照皇大神 (あまてらすおおみかみ) ・豊受皇大神(とようけのおおかみ) ・軻遇突智命 (かぐつちのみこと) ・大巳貴之命 (おおなむちのみこと) ・少名彦之命 (すくなひこのみこと) ・日本武尊 (やまとたけるのみこと) ・應神天皇 (おうじんてんのう) ・月讀之命 (つきよみのみこと)
御由緒
当社の御創建は秋保の最も古い歴史として記されていますが、今から凡そ1200年程前、平安初期の大同3年(808年)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を 祀ったのが初めと伝えられています。 時代は下り、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先 平盛房が信州は諏訪大神に本土恢復を祈願したところ戦勝の御神徳を得た事から、諏訪神社の御神霊をこの地に勧請して祈願所とし「戦の神」として崇拝されるようになりました。 慶長5年には武家の守護神として仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護され大社が建立されると共に、正保3年には二代藩主忠宗公より伊達家の永久祈祷が仰せ付けられました。 明治42年には明治天皇の御勅令により秋保五カ村の御神霊を合祀し、主祭神「建御名方神タケミナカタノカミ」をはじめ、「天照皇大神他七柱」が祀られ、諏訪神社の社号が秋保神社と改められました。 祈祷風景 拝殿に数多く掲げられる奉納絵馬は、戦時中の武運長久祈願の様子を偲ばせますが、現在は人生を勝負事と考え、商売繁盛や合格祈願、又運動競技やレース等の必勝祈願に遠方からの参詣者が絶えません。 その中で、発足30年以上にもなるレーシングチーム「RSオガワ」はレース前、当神社に参拝したところ、ホームコースでありながら暫く勝てずにいた菅生で久々の優勝を飾り、御礼参りを兼ね再度参拝して必勝祈願をしたところ、富士・岡山と勝ち星をあげ、更にその後シリーズチャンピオンに輝く快挙を達成しました。 「勝負の神」に感謝し、小川様に心よりお祝いをすると共に、更なる飛躍をお祈り申し上げます。
引用元情報
「秋保神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A7%8B%E4%BF%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=85088489
概要
秋保神社(あきうじんじゃ)は、宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北にある神社。「勝負の神」として知られ、境内には奉納されたのぼりが多数掲げられている。 また、秋保神社の神楽は、平成8年(1996年)に仙台市登録無形民俗文化財に登録されている。
体験
祈祷おみくじお祓い絵馬結婚式七五三御朱印お守り

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