こうしょうじ

孝勝寺


宮城県仙台市宮城野区榴岡4-11-11
6:00~16:30
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

孝勝寺の基本情報



名称
孝勝寺
かな
こうしょうじ

詳細情報

名称
孝勝寺
かな
こうしょうじ
都道府県
宮城
住所
宮城県仙台市宮城野区榴岡4-11-11
アクセス
アクセス[編集] JR仙石線・榴ケ岡駅から裏門(東門)まで徒歩4分。 仙台市地下鉄東西線・宮城野通駅から表門(西門)まで徒歩4分。 JR仙台駅東口から表門(西門)まで徒歩8分。
行き方
JRでお越しの場合 JR仙石線 榴ヶ岡駅より徒歩4分 JR仙石線 仙台駅より徒歩10分 地下鉄でお越しの場合 地下鉄東西線 宮城野通駅より徒歩7分 地下鉄東西線 仙台駅より徒歩10分 お車でお越しの場合 東北自動車道 仙台宮城ICより車で30分 三陸自動車道 仙台東ICより車で18分JRでお越しの場合 JR仙石線 榴ヶ岡駅より徒歩4分 JR仙石線 仙台駅より徒歩10分 地下鉄でお越しの場合 地下鉄東西線 宮城野通駅より徒歩7分 地下鉄東西線 仙台駅より徒歩10分
公開時間
6:00~16:30
御朱印
あり
宗旨・宗派
日蓮宗
歴史
歴史[編集] 釈迦堂 (手前は三沢初子像) 振姫、初子の墓所 五重塔 この節の加筆が望まれています。 寺伝によれば、永仁3年(1295年)、日蓮の弟子・日門が大仙寺を創建したのが始まりである。日持が奥羽巡教に発したとされるのが同じ年で、大仙寺にも足をとどめて教勢を盛んにしたという。伊達政宗はたびたびこの寺で祈願し、勝利を得たため、寺の号を全勝寺と改めさせたという[1]。 隆盛のきっかけは伊達忠宗の正室・振姫の帰依にあり、慶安2年(1649年)春に火災で焼失すると、忠宗の指示でいっそう大規模に再建された。寺伝には再建は慶安3年(1650年)に忠宗夫人によるとも言う。万治2年(1...Wikipediaで続きを読む
御由緒
日蓮宗の最北の本山。伊達政宗公、忠宗公、綱宗公、綱村公、吉村公と伊達家庇護のもと、伊達家一門格の寺院となりました。伊達政宗公が出陣する際に、当山で戦勝を祈願したところ沢山の武勲をあげることが出来たことから、縁起の良い寺として大仙寺だった寺号をから「全勝寺」と改めました。万治2年2月5日 2代忠宗公 正室 振子姫は、52歳で他界。法名 孝勝院殿秀岸日迅大姉と号し、その法号を以て現在の孝勝寺となる。3代綱宗公は、幕府から突然隠居を命じられ、わずか1才の亀千代丸(綱村公)が、伊達家4代の家督を継ぐことになりました。その事により、お家の騒動(寛文事件10年7ヶ月)が始まりました。この伊達家の一大事を、乗り越え亀千代丸を伊達家4代公として育て上げるために、母君三澤初子(政岡)は、一寸八分の釈迦如来像を造り朝夕お祈りをし、その熱烈な法華経信仰により伊達騒動の危機を救いました。こうして、命を狙われながらも立派に成長した4代綱村公は、母君のご恩に報いるため、ご母堂の大切にしていた釈尊像を安置する釈迦堂を建立しました。このお堂は、孝勝寺の寺宝であり、仙台市の文化財にも指定されています。
御利益
勝負運
引用元情報
「孝勝寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AD%9D%E5%8B%9D%E5%AF%BA&oldid=89236267
概要
孝勝寺(こうしょうじ)は、宮城県仙台市宮城野区榴岡にある仏教寺院である。山号は光明山。日蓮宗の本山(由緒寺院)である。 寺の名は大仙寺(だいせんじ)、全勝寺(ぜんしょうじ)、孝勝寺(こうしょうじ)と変遷した。孝勝寺の名は、江戸時代の仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の夫人・振姫の法名「孝勝院」にちなむ。
体験
御朱印武将・サムライ

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