塩釜神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院[1]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀であり、以後、地元の氏子らの信仰を集めた。 明治元年(1868年)の神仏判然令を受けて塩竈大明神は「鹽竃神社」と改称して独立することとなり[2]、名掛丁(現在の仙台駅西口...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「鹽竈神社 (仙台市宮城野区)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B9%BD%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA)&oldid=89068433
概要
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区のJR仙台駅東口の初恋通沿いにある神社。「名掛丁塩釜神社」とも呼ばれる。当社は、同県塩竈市にある鹽竈神社の仮宮を端緒とし、現在は島崎藤村が下宿していた三浦屋の跡地に建つ。