足見田神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《合》大穴牟遅命,神日本磐余毘古命,品陀和気命,大日霊命,天児屋根命,大山祇命,天穂日命,武御名方命,須佐之男命,加具土命,素盞烏命,天目一箇命,天白羽命,五男三女神,別雷命,《主》志那都比古命,志那都比売命,瀬織津比咩命,宇加之御魂神
御由緒
延喜式内社。当社旧記によれば垂仁天皇二六年鎮座と伝える。又、大正期の神社明細帳には雄略天皇二一年の鎮座とも記す。これら創祀の年代は伊勢神宮の鎮座と同年とすることは、『神鳳鈔』に「足見田社 神田三反」とする、神宮との深い関わりによるものと考えられる。社名は『倭名鈔』にいう「葦田安之美多」郷に由来する名称である。この郷名「葦田」は本来当社域東の「オシミ田」の転訛によるという伝もあるが、『勢陽五鈴遺響』は 本邑水沢ノ名二拠テ考ルニ、三重鈴鹿ノ郡界二居テ水沢川或高岡川ノ水源或菰野川各区流ノ中間ニアリテ渓河渠多ク真二地名二応セリ」としている。又、古く「俗八郷明神又夜後明神」と称されたのは、「葦見田八郷大明神ノ意義ナリ」(「三重県神社誌」三重郡の部稿本)と伝えられている。【特殊神事 お諏訪おどり】 江戸時代、農業用水工事をかけて、隣村との争いが起きた時に、水沢村の『辻 久善(つじ きゅうぜん)』という名主が、私財を投じて一人で江戸に行き、用水工事をやり遂げるよう数年にわたって幕府の役人を説得し、ようやく瀬戸用水を完成したのだった。久善が亡くなってから、村民はこの功績をたたえて、当時足見田神社の南側にお祀りされていた《諏訪社》という小さな神社で、1720年頃、礼おどりを奉納したのをきっかけに『諏訪おどり』が始まったのである。この諏訪社が明治に入って足見田神社に合祀(多くの神様を一つの神社に合わせてお祀りすること)されたため、今では足見田神社の『水まつり』の時に、昔ながらの浴衣に花笠を被って、毎年7月31日にお諏訪おどりが奉納されている。