みずやじんじゃ

水屋神社


三重県松阪市飯高町赤桶2507
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

水屋神社の基本情報



名称
水屋神社
かな
みずやじんじゃ

詳細情報

名称
水屋神社
かな
みずやじんじゃ
都道府県
三重
住所
三重県松阪市飯高町赤桶2507
行き方
車 松阪駅(JR,近鉄)より約30km、松阪IC(伊勢自動車道)より約25km 勢和多気IC(伊勢自動車道)より約20km、高見峠(三重・奈良県境)より約25km バス 三交バス飯南波瀬線「向赤桶」下車すぐ。松阪駅から所要約40分
御由緒
垂仁天皇25年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。 この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の西端を、滝野郷が内宮領の東端を示すものとして注目される。 里人は今もこの巨石を「礫石(つぶていし)」、また、その付近を「堺が瀬」と呼んで慕っている。柳田国男はその著書「日本の伝説」のなかでこの話を取り上げている。 神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特殊神事・(水取り)祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関わりがあり、当社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。 旧記・古文書の類にはこの「閼伽桶の井」の神水を二振りの桶に汲み、貞観元年(859)11月9日より春日大社への奉納を始め、天正5年(1577)の兵乱で中絶したとある。しかし、細々ながら神水はその後も当社へ奉納されてきた。 宮家のご信仰として、一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。 今日のように賑々しく祭事が取り行なわれるようになったのは皇紀2600年(昭和15年)の奉祝を契機としている。
体験
祭り

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