いだじんじゃ

猪田神社


三重県伊賀市下郡591
参拝/24時間
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

猪田神社の基本情報



名称
猪田神社
かな
いだじんじゃ

詳細情報

名称
猪田神社
かな
いだじんじゃ
都道府県
三重
住所
三重県伊賀市下郡591
行き方
依那古駅下車 西に1km
公開時間
参拝/24時間
御朱印
あり
御朱印帳
なし
文化財
【三重県有形文化財】本殿
本殿
一間社流造
御祭神
《合》依那古神,健御名方命,宇迦能御魂神,小泉太郎左衛門,蛭子命,大日貴命,坂戸神,応神天皇,仁徳天皇,大物主神,市杵島比売命,大山咋命,健速須佐之男命,天児屋根命,綾門日女命,猿田彦命,菅原道真,大山祇神,木花佐久夜比売命,伊弉冊命,火之迦具土神,速玉男命,事解男命,倭姫命,神功皇后,《主》猪田神,《配》底土命,赤土命,磐土命
御由緒
主祭神である猪田神(いだのかみ・別名 武伊賀津別命)は、旧事本紀(くじほんぎ)に「伊賀国造 志賀高穴穂(しがのあなほのみや)朝御代(成務天皇) 垂仁帝皇子意知別命(おちわけのみこと)三世孫 武伊賀都別命(たけいがつわけのみこと) 定賜国造(くにつくり)」とあり第13代 成務天皇の時代に伊賀の国造に任じられた、伊賀臣の祖神である。その子孫である伊賀臣は伊賀郡(古くは伊賀には伊賀郡・阿拝郡・山田郡・名張郡があった)の郡司として猪田神社前方に集落を形成し郡衙(ぐんが・郡役所)を置き、政治経済の中心地として支配し、神社の森を神奈備の杜として祭祀を行ったのが起源と考えられている。 天正15年(1587)の棟札によると、「始自勧請以来八百四年目仁下遷宮」とあることから延暦3年(784)に、社殿が建てられたことがうかがわれる。また、江戸中期に記された「三国地誌」によると、「延暦三年 白鷺空中を翔り 白羽の矢をくわえて松の樹上に止る時に その矢光を放ち 今の社地に止る 其矢をみれば住吉神と銘す 夫よりして此地に此神を祀り 古山 沖 市部 依那具 猪田 郡等の十七郷共に祭祀に預かる」とあり、神社前方の森に白鷺が住吉神と銘する白羽の矢をくわえて降り立ったので、社殿を建て猪田神と住吉神をあわせて祀るようになった。(此の住吉神は、当社より猪田の猪田神社と古山の田守神社に勧請(かんじょう)されている) 平安時代には延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう・927年完成)の伊賀国25座の式内小社に列せられている。 天正9年(1581)織田信長による伊賀攻め(第2次天正伊賀の乱)によって、本殿以下が焼失し猪田郷山出の小天狗清蔵により天正15年(1587)に再建された。 明治43年には合祀令により、延喜式内社であった依那古神・坂戸神社をはじめ近隣神社(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺)で祀られていた神々を合祀した。 昭和48年、本殿背後の斜面より「猪田経塚」が発見されている。塚は全部で13基が存在したものと考えられ、内3基からは瓦製経筒・三筋壺経筒が検出され、造営年代は12世紀末頃と推定されている。 また、当社前方には「下郡遺跡」があり、弥生時代~室町時代の集落遺跡も見つかっており、特に平安時代の井戸からは延喜(901~923)銘の墨書木簡が出土している。 氏子地域は依那古地区(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺・ゆめが丘)である。
体験
祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三御朱印祭り

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