南山城村天満宮(恋志谷神社)の基本情報
詳細情報
御由緒
<天満宮>江戸時代初期に柳生藩第3代藩主柳生宗冬が勧請したと伝えられています。そして、この石鳥居は正保4年(1647)建立寄進されたものです。 <戀志谷神社>戀志谷神社は、昔から子授り・安産・婦人病平癒など女性の守り神として知られています。鎌倉時代末期、元弘元年(1331)倒幕の計画が知れた五代テンん央は、京都を脱出し笠置山に籠って挙兵した。それを天皇に想いをよせていた姫(妃)が聞きつけ、伊勢で病気療養中にもかかわrず駆けつけたが、時すでに遅し。天皇は追っ手から逃れるため、笠置山を後にしていた。姫は悲しみと長旅の疲れから持病が再発。「恋い焦がれ、病に苦しむような辛いことは自分一人で十分。人々の守り神になりたい」と言い遺し、この世を去った。これを哀れんだ人々が祠を建て、祀ったのが戀志谷神社の始まりだと言い伝えられています。最期まで「天皇が恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、いつしか親しみを込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになりました。