称名寺の基本情報
詳細情報
御由緒
安永3年(1774)に作られた「称名寺縁起」によると、称名寺の開基、西誉直住大徳は、諸国行脚のある日、京都日野の里、平山氏の家で一宿の志を受けた。この家の持仏堂には行基菩薩の作と伝える仏像が安置されていて、平山氏は、「この仏像は建暦のころ(1211~13)、鴨長明が近辺の外山(鴨長明が方丈記を書いた京都市伏見区日野の庵)という所に引きこもりしときに、私の先祖に賜ったものである。方丈には画像を安置しているので、もしお望みならば賤屋の煙の中に置くよりも有難いことである」と、快く譲ってくれたという。 直住大徳は仏像を肩に掛け、天文3年に佐古村の吉岡氏を訪れて、仏像を置きしばらく休んでいた。再び仏像を肩に掛けようとしたところ、盤石の如く動かなかった。さては佐古村は有縁の地なりと、吉岡氏に寺の建立と仏像の安置を頼むと、吉岡氏は、「我は先祖より念仏の家なり、昨夜この御仏が枕上に立たれたのも、我等に縁があるからだろう」と、寺を建立し、直住大徳を開基にしたという。 右の写真は、大正10年に改写された過去帳に書き写された称名寺縁起。