がんせんじ

岩船寺


京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
8:30~17:00 (12月~2月は9:00~16:00)
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

岩船寺の基本情報



名称
岩船寺
かな
がんせんじ

詳細情報

名称
岩船寺
かな
がんせんじ
都道府県
京都
住所
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
行き方
JR「加茂駅」より徒歩約1時間30分。またはコミュニティーバス当尾線「岩船寺」下車すぐ JR・近鉄「奈良駅」からは「急行バス 浄瑠璃寺」下車徒歩約40分。またはコミュニティーバス当尾線乗り換え「岩船寺」下車すぐ
公開時間
8:30~17:00 (12月~2月は9:00~16:00)
参拝料
大人500円、中高生400円、小学生200円
御朱印
あり
御朱印帳
あり
宗旨・宗派
真言律宗
山号
高雄山
院号
報恩院
文化財
阿弥陀如来坐像、普賢菩薩騎象像、隅鬼、三重塔、十三重石塔(重要文化財)
御本尊
阿弥陀如来(重要文化財)
御由緒
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強い。近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。 岩船寺の創建事情は明らかでないが、行基による創立を伝え、前身寺院は現在地の南方の鳴川(現・奈良市東鳴川町)にあったという。近世の縁起によれば、岩船寺は奈良時代、聖武天皇の発願により行基が鳴川の地に建立した阿弥陀堂がその前身であるという。創建年次については天平元年(729年)とも天平勝宝元年(749年)ともいう。鳴川にはその後空海(弘法大師)が善根寺(鳴河寺)を建立。空海の甥であり弟子でもあった智泉が、嵯峨天皇の皇子誕生を祈願して、善根寺の東禅院灌頂堂に報恩院を建立したという。その報恩院を弘安2年(1279年)に現在地に移し、同8年(1285年)に落慶供養を行ったのが岩船寺であるという。以上の伝承はそのまま史実とは考えがたいが、『弘法大師弟子伝』(貞享元年・1684年成立)には、大同年間(806 - 810年)、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が皇子の誕生を祈願して報恩院を建立し、智泉が呪願(願文を読む僧)を務めたとある。 岩船寺本尊阿弥陀如来坐像の像内には天慶9年(946年)の銘があるが、この像が当初から岩船寺の本尊であったという確証はない。「岩船寺」の寺号の存在を示す最も古い記録は、寺の西方にある岩船不動明王磨崖仏(通称一願不動)の銘記で、そこには弘安10年(1287年)の年記とともに「於岩船寺僧」の文字がみえる。この年号は、上記寺伝にいう岩船寺落慶供養の年(弘安8年・1285年)に近く、鳴川にあった「報恩院」がこの頃現在地に移った可能性を示唆している。 現存する三重塔は室町時代の嘉吉2年(1442年)の建立である。江戸時代には浄瑠璃寺と同様、興福寺の末寺であった。
札所
関西花の寺二十五ヶ所霊場第15番 仏塔古寺十八尊霊場第4番 神仏霊場巡拝の道第129番(京都49番)
体験
御朱印重要文化財花の名所札所・七福神巡り法話

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