西福寺の基本情報
詳細情報
御由緒
西福寺は、上狛環濠集落内の磯垣内に所在する念仏山浄雲院の山号を持つ寺院です。創建については、不詳でありますが、永禄三年(1560)に僧道春が中興したと伝えています。西福寺には山城国一揆を組織した国人衆の一人である狛山城守秀の子孫と考えられる狛佐馬進秀綱肖像画が残されています。天正十二年(1584)四月九日の狛秀綱の没年月日や「常雲禅定門」の戒名裏には狛佐馬進源綱行之遺像などの墨書があり、天正十二年に三十五歳で没した狛秀綱の死後に描かれた肖像画があることが確認されています。 秀綱は織田信長に仕官し、その配下として上狛における地位や勢力の拡大を図ったとみられる人物で、狛弁財天社の再興も行ったと考えられています。 当てらには、秀綱の肖像画とともに彼の位牌も現存する他、上狛惣墓から発見された墓石も境内に安置されています。 また、十一世紀の製作とみられる聖観音立像や十二世紀に製作された阿弥陀如来立像(本尊)、不動明王立像の他、天文十四年(1545)台座銘を有する地蔵菩薩立像を所望しています。